黄金町という街について

新港から黄金町に拠点を移して2ヶ月が経ちました。ボーッと海を眺めることはできなくなったけど、駅近で伊勢佐木モールや横浜橋商店街も歩いてすぐ、川の対岸には小さなカフェやギャラリー、という街中の立地は飽きることがなさそうです。

仕事上支障がない+これまでのネットワークを保てる(≒横浜市の支援を得られる)範囲で払える値段というとほとんどほかに選択肢はありませんでしたが、黄金町という街、そしてその中でも元ストリップ劇場の建物という条件は、私にとってはとても難しいものでした。

詳しくはこちらなどにありますが、黄金町は違法売買春が横行していた町で、2005年に一斉摘発されるまでは、大岡側沿いや高架下の道に、ちょんの間と呼ばれる小型特殊飲食店がずらりと並んでいました。エリアごとの関係性や歴史までは把握できていませんが、周辺の福富町、若葉町、新拠点のある末吉町、鎌倉街道沿いなどには、未だに風俗店が多く、呼び込みの人たちがうろうろしています。

2008年に始まった黄金町バザールは、そうした街の歴史を面白がり、別のものに生かすような、といって伝わるか定かではありませんが、そういった雰囲気の、若い人たちだけがポジティブに取り組むアートイベントなのだと思っていました。ところが、蓋を開けてみると、バザール期間だけでなく通年まちぐるみでさまざまなイベントに取り組んでいること、このエリアのまちづくりには市や警察、京急など大組織が密接に関わっていること、その背景には、街の再生のため、新たなコンテンツで賑わいを生み出していきたいという地元の人たちの必死な思いがあるのではないかということがわかってきました。あまり全国各地の例に明るくはありませんが、オープニングレセプションで警察幹部が挨拶するアートイベントは、そうそうないと思います。

とはいっても、実際のところ、一斉摘発で空洞化した街をアートで埋めるというイベントの性質上、その舞台はかつての風俗街であり、どうしたって場所の背景やイベントの文脈が、参加するアーティストにもその作品を観る人にもチラつきます。「オシャレでかわいいアート」が多くなる向きはあるのかもしれないし、新築の関連施設など昔の雰囲気は見る影もありませんが、古い建物も活用しようとする姿勢や多くのアーティストが一定期間街に滞在して制作するシステムは、街の過去とも現在とも、そうしたことにスポットを当てる表現とも、まっとうに向き合っているように思えます。文脈的には「『黄金町バザール』にとっては好ましくない」と考えられるようなものも、排除されてきたような印象は、私には少なくともあまりありません。もちろん見えないところでたくさん振り落とされているのかもしれませんが。

それでも、税金が投入されている以上、賑わいの程度やアート展としてのクオリティも加味した上でのさまざまな批判はつきもので、これくらいキッパリ言ってくれると気持ちいいなと思うのも確かで。

ヨコハマ経済新聞は、取材対象を褒め称える媒体でも、批判する媒体でもありません。掲載するのは地域にとって「ニュース」であると判断した事柄です。例えば、ある飲食店がどれだけ美味しいか、ということより、オープンしたばかりか、ということや、変わったメニューがあるかということ、素材や内装にこだわりがあるかといったことを基準に掲載可否を決めます。それでも、文中で美味しいと言わなくても、良いと思う店、応援したい、読者に紹介したいと思う店を選ぶのは当然のことで、黄金町バザールに関して言えば、これはあくまで私の考えに限ってのことですが、ニュース媒体として市内では欠かすことのできない規模のイベントであるだけでなく、開催される以上は、より多くの人に知って欲しいし、より多くのアーティストに生かして欲しい機会だからこそ、掲載するのだと思います。

そこで、話を拠点のことに戻すと、今の私としては、そうした客観性とポジティブな姿勢に基づいたヨコハマ経済新聞としての視点以外に、この街と、元ストリップ劇場のこの建物とどう向き合いたいかという視点がありません。これがものづくりをする人であれば、ちょっと尖った場所で活動しているあるいは、ちょっと変わった歴史を持つ場所でそれを題材に制作している、という違いにしかならないのだと思います。ファッション誌やアート雑誌のライターでもきっとそれは同じです。けれど地域情報を扱うライターにとって、どのような場所に身を置くかというのは、自身の方向性に関わらず見え方に影響すると思っています。

私はこれまで特定のテーマを追いかけず、自分のいる場所を中心に、物事を自分ごととして考えたり、身近に感じられる範囲を少しずつ広げたり外的な要素によって広げられたりしながら、地域の情報を発信してきました。何十組ものクリエーターがいるスタジオにいれば、その人たちのことをもっと知って発信したいと思うし、街中にいれば、その街で生活を営む人たちのことを書きたいと思います。でも、黄金町のまちづくりに対して問題提起してきた人たちのように、風俗に従事する人たちや犯罪者たちを、生活者として捉えることはできません。

つい昨年まで生き残っていた、この辺りではシンボリックな存在だった元ストリップ劇場に入居してから、治安が良くなると安心する声もあれば、劇場としての営業停止を残念がる声もあります。私の感覚はどちらかというと前者に近いもので、自宅の近所にストリップ劇場などあってほしくないという気持ちは痛いほど良く分かるし、その気持ちを共有する人が意外と周りにいないことに、結構なショックを受けています。そこにあった事実から目を背けるべきとは思わないし、一定の注目度がある以上はその事実を掘り下げるべきとも思います。あくまでここで活動していくのは、踊り子ではない他の職を持った私たちですが、他の借り手がついてしまったら生かされなかったであろうこの場所の文脈を生かしたい、利用したいからこそ入居したのも私たちです。問題なのは、どういう姿勢で掘り下げたら良いのか分からないということです。

そもそもストリップや性風俗という文化を理解しない私にとって、この街の過去が忘れ去られること、なかったことになることが、どういう意味を持つのか、まだ理解できていないんだと思います。そのままでここから何かを発信するということは、自分に望まぬ色が付くという意味でも、予期せぬ批判の対象になるという意味でも、リスクになるんじゃないかということです。それを相談すると、私は「女性らしい一面」を持っているんだと言ってくれる人もいました。周りの感覚を共有しない人たちは「ストリップそのものではなく、そこにある種のコミュニティが形成されていた事実を面白がっていたんじゃないか」、と言ってくれた人もいましたが、よく分かりません。

一度浜劇にでも行ってみたら、と何人かの人に言われましたが、その後ここにとどまりたいと思えるかどうかとても自信がないので、実行に移せないでいるところです。