ゆとり世代だろうがなんだろうが、いつかは大人になるという話

※ドラマ『Girls』についてネタバレがあります

 大好きな曲があって、その歌詞の意味や背負っている文化的背景などを改めて知ったとき、自分の経験や感覚との距離を感じて愕然とすることが、たまにある。

 Tracy Chapmanの「Fast Car」は、物心ついたときには、FMで定期的に流れる懐メロのようになっていた。英語を理解するようになってから、その歌詞が持つ重みに衝撃を受けた。なんとなくみんなのお気に入りだと思っていた曲は、私よりずっと大変な境遇にありながら、少しずつ思い描いていた未来に近づこうとする、すごく強い人のために書かれたもののような気がした。

 だから、それがドラマ『Girls』の最終話で使われているのを観て、最初は違和感を感じた。ものすごく乱暴に説明すれば、アメリカ版『ゆとりですがなにか』のようなこのドラマは、『Gossip Girl』(思春期)と『Sex And The City』(成人期)の狭間の世代、ミレニアルを描いている。4人の女子は、みんなどこか幼稚で甘ったれで、それでいて目上の人が相手でも自分を正当化できる(あるいはできてなくても勢いでその場を押し切れる)ほど弁が立つ。そんなんだから激しく言い争うこともしょっちゅうで、それでもなんだかんだ友達であり続ける、のではない。途中まではそうだけれど、最終シーズンは驚くほど急展開で、それまでも段々と離れていた4人の距離を方方に伸ばし、視聴者を置いてけぼりにしながら、主人公のハンナにフォーカスしていく。

 4人が離れる原因となる出来事の一つが、ハンナの妊娠だ。ニューヨークを離れて郊外で教職に就き、シングルマザーとなったハンナの元には、親友のマーニーだけが半ば無理矢理ついてくる。ダメダメだったハンナは、母になって大人になったかと思いきや、相変わらずな口論をマーニーや子育てを手伝いに来た自分の母親と続ける。Fast Carは、最終話の冒頭、ラジオに合わせてマーニーが歌い出す場面で最初に使われる。息子が母乳を直接飲んでくれないことに悩んでいたハンナは、イライラを募らせて半ギレする。

 その後、若い頃の自分のような、より自己中で甘ったれた家出少女に出会ったことで、ハンナは思いがけず”母親の愛”について語る。最後は、ハンナがFast Carを口ずさみながら、無事に息子に授乳するシーンで終わる。

 少しずつキャリアを切り開いてきたとはいえ、まだまだ甘やかされたゆとり女子に見えたハンナと、ヤク中の元夫にすら超自己中な性格を批判されるマーニー。そんな二人がFast Carを歌う構図は、なんだか曲の意味を軽くしてしまっているように思えた。

 番組の音楽担当者の話では、Taylor SwiftやLordeの新曲を使えばそれっぽかったかもしれないけれど、それでは曲がストーリーの重みに耐えられないと判断し、以前から使いたいと考えていたFast Carに白羽の矢を立てたそうだ。Chapmanは基本的に映像作品には曲を提供しない人らしく、この曲の使用許可を取るために、もはやフェミニストのアイコンのようになっているこのドラマの製作・監督・脚本・主演のLena Dunhamが自ら電話で依頼したという。この曲が使われていること自体が、すごいことなのだ。そこで、彼女が何といって説得したのかはわからないけれど、そこには、Chapmanも納得するに足るストーリーがあったのだ。

 妊娠・出産というきっかけは半ば強制的でベタではあるけれど、ハンナは大人になる。Fast Carの主人公とは違って、呑んだくれて働かない親父や亭主はいないけれど、彼女なりに着実に階段を上って、人生の次のステージへと進んでいく。

 そこまで考えて、気づいた。

 少し年下で、自己中で諍いの絶えない彼女たちを、私はいつもどこか下に見ていた。けれどもいつの間にか、少なくともハンナには、追い越されていたのだ。

 否応なしに環境の変化を迫られる出来事はないけれど、私もいつまでも若者でいるわけにはいかない。そういう普遍性を、Chapmanは歌っていたのだ。