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黄金町という街について

新港から黄金町に拠点を移して2ヶ月が経ちました。ボーッと海を眺めることはできなくなったけど、駅近で伊勢佐木モールや横浜橋商店街も歩いてすぐ、川の対岸には小さなカフェやギャラリー、という街中の立地は飽きることがなさそうです。
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I amsterdam

小野博さん×小林エリカさん

I amsterdam

お世話になっている編集者の大谷薫子さんが独立して初めて出したフォトエッセイ「世界は小さな祝祭であふれている」の出版記念トークへ。表紙の写真がとても好きで、著者の小野博さんは絶対面白い人に違いないと思ったので、後で読むのが楽しみになるように、事前に読まずに下北沢まで向かいました。

トーク相手の小林エリカさんもとても上品で素敵な方で、お二人は合うところも違うところもあるのだけど、「いろんな人がいていいっていうことを、まち全体が肯定しないといけない」という考えに基づいたお話がとても心地良かったです。

オランダくらいリベラルな先進国だと、それだけ多様性を受け入れる姿勢が根付いていそうだし、イギリスもかなり多民族化が進んでそうなってきている気がしますが、そういう面ではやっぱり少し窮屈な気がする日本。逆に同じヨーロッパでも、ポルトガルはまだまだ日本人がめずらしいような国で、ちょっと居心地も違ったのを覚えています。

日本人の血でオランダ国籍を持つ知人が、日本人の性格とオランダ人の性格をうまく使い分けているのに対し、韓国人の血を引いたアメリカ人は100%アメリカ人になっている、という話や、東京は知らない人が多いから、ある程度ちゃんとしてないといけない、岡山は知ってる人しかいないから、ちゃんとしないまま老人になる、という話も。あとから、今は逆に知ってる人の前でしかちゃんとしなくていい、という人がでてきちゃってるんだろうな、と、思いました。

多文化共生

横浜と大和の境にある県営いちょう団地にお邪魔しました。ベトナムや中国などアジア諸国からの移住が多く、日本人はほとんど高齢者で、家庭での言語環境から勉強に差が出たり、一定以上の収入になると出て行ってしまいまた新しい人が来るのでそうした問題を抱えた人が後を絶たなかったり、いろんな課題がありつつも、広大な家族のようなコミュニティの中で暮らしているように見えました。

言葉も分からない異国の地で、同郷の皆とかたまり、助け合いながら生活する状況がどんなか、日本人の自分にはなかなか想像できないもの。ロンドンにもインド人の多いエリアやポーランド人の多いエリアなどいろいろあったけど、しっかり準備もできて、難なく生活できて、いつでも帰れる留学生とはわけが違います。

HammerHead Studio

9月から、港の際にあるシェアスタジオにデスクを置いています。

みなとみらいのオフィス街や観光スポットの喧噪と切り離された、
おもちゃ箱のようなスタジオです。

Shot and edited by Kenichi Okada
Music by Kohske Kawase

What’s Tappening?

「ブルー・ゴールド」の上映+「ウォーター・ビジネス」(モード・バーロウ著、作品社)の訳者・佐久間智子さんと東大生産技術研究所の沖大幹教授のトークショーに行ってきました。すごくポップでテンポが良かったけど、お二人もおっしゃっていたように次々といろんな問題が放り込まれているので、整理する場があってとても良かったと思います。

私が特に興味があったのが水道水とミネラルウォーターの話。指摘されていたように、バーチャルウォーターや人権としての水、ダムなど問題を提起するという面ではとても優れた映画でしたが、では個人レベルで何ができるか、というとたちまちシャワーの量を減らすだとか歯磨き中は水を止めるだとか尻すぼみになってしまっていたので、佐久間さんがそこに言及してくださったのは嬉しかったです。

今までただの水を買うなんて何となくしゃくに障るからという理由でペットボトルの水は避けてきましたが、環境的な負担だけでなく、倫理的にもそれは間違っていなかったんじゃないかと思えました。ミネラルウォーターを採取して水道水よりはるかに高い値段で売るということは、水道の民営化と同じことなのではないかと思います。お茶やジュースも環境面を考えればなるべく買わない方が良いのでしょうが、少なくともこれらは嗜好品であり、企業には原価に上乗せして売る資格があると思っています。ミネラルウォーターも嗜好品と考える見方もあるのかもしれませんが、他に飲料水を得る手段がないような場所でコーラより高い値段で売るというのは考えられません。Volvicの1L for 10Lプログラムなんかも、ミネラルウォーターを買うぐらいだったら水道水を飲んでその分浮いたお金を寄付した方がずっと利率が良いし矛盾がないはずです。

実際、水道水を飲もう!という動きは各地であって、レストランで水を頼めばまずボトルウォーターが出されて課金されてしまうロンドンでも地方紙が中心となって水道水も選択肢に入れるようにWater On Tapというキャンペーンを展開したり、アメリカのTappening Projectでも水道水がいかに安全か、様々な情報を公開しています。

5年くらい前に同じ渋谷のアップリンクで「ザ・コーポレーション」を観てボリビアの水道民営化紛争について知ってから水問題に興味を持とましたが、沖先生の「民でも公でもうまくいくとは限らないんじゃないか」という疑問に対して佐久間さんの「民と民で戦わせるよりは公に仲介させた方がいい」という言葉が印象に残りました。

ウォーターフットプリントなどの「単純化表示」についても大勢の消費者を対象にするとどうしてもそのような方法が必要とされてしまうけど、「あの人が作ったんだからこれは安心だ」という人と人とのつながりのほうがよっぽど崇高だ、という指摘はとても鋭いと思いました。フェアトレードマークなんかも怪しくなっている今、消費の問題ってほんとに難しいなと考えさせられました。

Death Is Another Form Of Life

以前薦められた「デザインと死」(黒川雅之著、ソシム)を読んで、ドキッとした項がありました。

(「サステイナブルとは、死の壮大なメカニズム。 」より)…このサスティナブルという生に片寄った思想に、本来の日本の美意識を感じないことである。美人は薄命であり、はかないことを美しく思う、あの日本的美意識である。生の側から美を感じるのではなく、死の側から美を感じることである。
今、日本を支配するものは西洋的思想である。自然を対象化して加工し、人間の規範に馴染ませようという思想だ。しかし、日本人の美意識は自らを自然と融合するものとして捉えている。芽生え、しげり、枯れて散りゆく、この自然の規範に自分自身を従わせる思想である。その美意識からは、サスティナブルという発想は生まれない。滅びゆくことを歓ぶ美意識になる。

エコだサステイナブルだと連呼されて心地よく感じないのは、それが西洋的思想だからではないか。西洋にどっぷり浸って、その取り組みを日本に広めようと躍起になっていた私でも、心の底では何かが違うって分かっていたんじゃないか。そんなことを考えさせられました。